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仲間とともに不安に向き合い、 誰かの力になるために ―網膜色素変性症への理解と支援を広げる大菅規子さん 仲間とともに不安に向き合い、 誰かの力になるために ―網膜色素変性症への理解と支援を広げる大菅規子さん

  • 病気を知る
2026年10月26日

網膜色素変性症は、網膜の異常により視野が徐々に狭くなり、最終的に失明に至る可能性のある進行性の眼疾患です。自らもこの疾患の患者であり、日本網膜色素変性症協会(JRPS)理事を務めているのが、大菅規子さん。同協会の電話相談員として、日々患者さんからの声に寄り添っています。
 

23歳で網膜色素変性症と診断され、将来への不安に押しつぶされそうな日々の中で大きな支えとなったのが、同じ疾患を持つ仲間との出会い、そして「自分の経験が誰かの役に立つ」と感じられたことでした。 今回は大菅さんに、診断当時の思いや少しずつ前を向けるようになった過程、そして同じ疾患の患者さんを支える活動についてお話を伺いました。

 

網膜色素変性症とは
網膜色素変性症は、眼の中で光を感じる組織である網膜に異常がみられる遺伝性・進行性の疾患です。日本では4,000~8,000人に1人の割合で発症するとされている希少疾患で、国が定める指定難病の一つとして認定されています※1。
進行や症状には個人差がありますが、代表的な自覚症状として夜盲(やもう)、視野狭窄、視力低下などが見られ、最終的には失明に至る可能性もあります。国内の患者総数は少なくとも3万人を超えるとされており、2019年度には、日本で新たに視覚障がいによる身体障害者手帳を取得した人(18歳以上)のうち、原因疾患が網膜色素変性症の方が全体の13.0%を占め、緑内障に次ぐ第2位となっています※1。

検査で初めて知った、視野の狭さ

―大菅さんご自身の症状について教えてください。

現在の視野は10°以内程度※2、視力はこの半年ほどで0.09~0.08まで低下しました。視野狭窄で外側からだんだんと見えなくなっていき、最近では比較的見えていた真ん中の部分にも影響が及び始めています。

※2 正常視野(片目)は横長の楕円形をしており、固視点(正面を向いて見つめる一点)に対して上側で約60°、下側で約70~75°、鼻側で約60°、耳側で約100~110°程度といわれている。(参考:日本眼科学会 緑内障診療ガイドライン第5版)

―日常生活にはどのように影響しているのでしょうか。

駅や街中にある方向表示や標識が見えにくくなってしまい、慣れているところ以外、出かける際には誰かの手引きが必要です。必要に応じて家族や駅員さんなどにサポートしてもらっています。
 

また文字も見えにくくなり、かなり拡大しないと見えない状況です。一方で視野も狭いため、大きくしすぎると読みにくく、長い文章では段を間違って読んでしまうこともあります。

―診断を受けるまで、自覚症状はありましたか。

小さい頃から暗いところは苦手でした。また中学校の教師として働き始めてからは、職員室のゴミ箱をよく蹴飛ばしたり、人や自転車が急に目の前に飛び出してくるように感じたりすることが増えました。それでも自分がおっちょこちょいなのかな、程度にしか感じていませんでした。
 

自分の視野が狭いことを知ったのは、目の前に黒いものがチラチラ動くようになり、眼科で検査を受けたのがきっかけです。検査後に看護師さんが紙をくるくると丸めて望遠鏡のように目に当て、「これぐらいしか見えていませんよ」とおっしゃったんですね。検査の結果、網膜色素変性症による視野狭窄だと診断を受けました。多くの方は視野が狭いというと、視界の外側が黒や白になっているような見え方を想像すると思いますが、実際は縁取りはなく、本人にとっては見えている世界がすべてなんです。当初はまったくピンとこず「いや、私は全部見えているけど」と思いました。

インタビュー中の大菅さんの写真

幼少期、肝試しで友人たちが一斉に走り出す中、どこが道でどこが川なのかわからず、
怖くて走れなかったという大菅さん。「あ、ほかの子には見えているんだ」と
初めて気づいた瞬間だったと振り返る。

「治療法はない」突然の診断を受けて

―診断を受けたときの気持ちを伺ってもよろしいですか。

医師の先生には「治療法がないので、これ以上できることはありません。通院も不要です」と言われました。病院は病気を治してくれるところだと思っていたので、何もしてもらえないまま放り出されたような気持ちでした。

 

病気について知りたい一心で、大型書店の医学書コーナーで専門書を探しました。網膜色素変性症について書かれたページには「治療法はない」「失明する」「遺伝する」という3つの言葉が並んでいました。それを読んだときには、現実を突きつけられたようで、先生の言葉以上にショックを受けました。いつどのように失明するのか、自分の子どもや孫に症状が引き継がれてしまうのだろうか……当時はインターネットもなく、得られる情報も限定的でした。不安に押しつぶされそうで、なかなか未来に希望を見出すことができませんでした。

―お仕事にも影響はありましたか。

しばらくは教師を続けていましたが、原付バイクを運転しての帰り道で曲がり角を間違えたり、雨でセンターラインがわかりづらくなったりして、34歳の頃に退職を決めました。その後1年間は高校の臨時講師、さらに中学校の教育相談員として、別室登校する生徒さんのケアをする仕事を6年間行いました。教育相談員の経験は、今の電話相談員としての仕事の基礎になったと思います。

インタビュー中の大菅さんの写真

仲間と出会い、「一人じゃない」と思えた

―不安な日々を過ごす中で、前を向けるようになったきっかけは何だったのでしょうか。

同じ疾患を持つ方や視覚障がいのある方に出会い、「一人じゃない」「まだ諦めなくていい」と思えるようになりました。疾患のことをわかってくれる人がいる。失敗談も笑い飛ばしながら、一緒に乗り越えていける仲間がいる。それは、私にとって本当に大きな支えでした。同じ疾患を持つ先輩方には、たくさん話を聞いてもらい、たくさん経験談も伺いました。その優しさに触れて、「自分もああいう患者でありたい」と思うようになりました。

―支えられた経験が、今の活動にもつながっているのですね。

以前、とある病院で患者さんとそのご家族に向けて講演を行ったことがありました。自分の疾患との向き合い方をお話ししたところ、「話を聞いて気が楽になった」「勇気をもらった」という感想をいただきました。
 

目が悪くなるということは、誰かに助けてもらう身になることだとばかり思っていて、自分が誰かの助けになるとは想像もしていませんでした。そのとき初めて視覚障がい者として社会での居場所ができたと感じましたし、みんなのために何か自分のできることをしようと前向きに考えるようになりました。

―身近な存在であるご家族は、どのような支えになっていましたか。

家族の存在ももちろん大きかったです。「将来失明するかもしれない」と打ち明けると、離れていく方もいる中で、夫は「今見えていたらいいんじゃない」と言ってくれたのです。その後も疾患を理解しようとしてくれ、JRPSでの活動にも同行して、私と同じような症状を抱える人々と積極的に交流してくれています。

 

また、子どもが生まれたことで、「もしこの子に症状が遺伝したとき、私を見て絶望してほしくない」という思いが強く生まれました。自分が落ちこんでばかりではいけないと思い、家族でいろいろなことを全力で楽しむことに決めました。

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進行性の病だからこそ、今を楽しみ、明日に楽しみを作る

―日々意識していること、モットーはありますか。

この病気は進行性なので、悪くなることはあってもよくなることはありません。心の奥にある不安やつらさが消えるわけではないからこそ、それを抱えながらも自分らしく生きるために明日が楽しみになるようなことを見つけようと思っています。昔から旅行が好きで、夫と一緒に計画を立てている時間が日々の楽しみです。

 

また、最近は好きなアイドルの推し活を楽しんでいます。SNSを通じて知り合ったお友達が「ファンクラブに入っているのに、コンサートも行かないなんてもったいない」「目が悪いとか関係ない」と、一緒にコンサートに行ってくれたことがきっかけで、より積極的に推し活を楽しめるようになりました。今では夫も巻き込んで熱中しています。実は今日(取材日)もこの後、推しが出演する舞台を見に行く予定です。

インタビュー中の大菅さんの写真

仲間とともに、団体戦で病気と向き合う

―理事を務めていらっしゃる、日本網膜色素変性症協会 (JRPS)について教えてください。

JRPSは患者団体として、疾患啓発の推進、研究に対する助成、電話相談のほかにも、地域ごとに患者さん同士がつながる機会を提供しています。また症状や年齢ごとに部会も設けており、チャットで交流したり、オンラインで会合を開いたりしています。
 

網膜色素変性症は希少疾患だからこそ、周囲に理解者がいないという方も少なくありません。同じ疾患を持つ人同士で話をして、ほかの方の経験を聞ける機会があることは、患者さんにとって大きな安心につながります。

―電話相談の活動もされていますが、電話を受ける際に心がけていることはありますか。

網膜色素変性症は人によって症状や進行速度、見え方がまったく異なります。そのため、自分の尺度だけで話を聞かずに、その人の状況や考え方に寄り添うよう心がけています。相談員がその方の人生や考え方を変えることはできませんが、お話していく中でその方自身にご自身の思いを整理したり気づいたりしてもらうことができればと思っています。
 

電話相談を通じて感じるのは、皆さんが心の奥に抱えている不安やつらさを聞いてくれる人、わかってくれる人を必要としているということです。私自身もたくさんの出会いを通じて、自分は一人じゃないと感じられたからこそ、恩返しの気持ちを込めてJRPSで一生懸命活動しています。

―疾患と向き合ううえで、仲間や周囲の支えの大切さを感じます。

私は、この病気と向き合っていくのは「団体戦」だと思っています。患者さんだけでなく、研究者、支援者、企業など、たくさんの方と一緒に闘っています。みんなで手を取り合い、いつか網膜色素変性症が治療できる病気になることを願っています。

インタビュー中の大菅さんの写真

小さな声かけから広がる、やさしい世界

―製薬業界や医療関係者に期待することはありますか。

病気や治療研究について正しい知識を得て、自分の気持ちを紛らわすものを見つけても、一人でいるとき、どうしようもない不安で押しつぶされそうになることがあります。患者さんの多くはこのつらさを抱えていらっしゃると思います。
 

なので、症状改善は難しくとも、せめて進行を抑える薬ができたらうれしいですね。また医師の先生方には、将来起こりうる症状や生活の変化、利用できる福祉制度(障害者手帳、障害年金など)、相談先について教えていただけると患者さんは非常に安心できると思います。

―読者の皆さんに知ってほしいことはありますか。

もし周囲に白杖を持っている人がいたら「信号変わりましたよ」といった簡単なことでいいので、声をかけていただけるとうれしいです。どうしていいかわからないときには、「どうやって手伝ったらいいですか?」と聞いてくだされば「肩を貸してください」「腕をつかませてください」と言うことができます。そうした小さな接点で言葉を交わし、お互いを知ることで、さまざまな気付きがあるのではないでしょうか。誰もが互いを思いやり助けられる、やさしい世界になるといいなと思います。

 

そして、同じ疾患と向き合い、不安を感じている方には、一人で抱え込まず、同じ思いを分かち合える仲間や相談できる場所があるということを届けたいです。

インタビュー中の大菅さんの写真
 
大菅さんのプロフィール写真

大菅 規子(おおすが のりこ)さん
日本網膜色素変性症協会(JRPS)理事。2019年から同協会の電話相談員として活動を開始し、これまでに370件以上の相談を受けている。中学校の家庭科教師として教鞭を執った後、教育相談員として不登校支援に携わった経験を持つ。最近の趣味は旅行と推し活。